ノーザンクロス(序)


夏の篭った暑さも木々に遮られて、幾分澄んだ空気が流れていた。スザクは生まれ育った枢木神社の側に立つ母屋から外の気配をうかがった。
二日前、日本は予てから懸念されていたように神聖ブリタニア帝国と戦争状態に入った。首都東京に向けて大群の戦闘機、飛行艇が向かい、戦闘に投入されるのは始めての兵器、ナイトメア・フレームが次々、陥落しているそうだ。通信も満足に得られず、刻々と日本は敗戦を迫られていた。
日本とブリタニアの戦力差は大きく、それは開戦したら負ける事は確実なほどだった。ただ、ナイトメアについては日本でも予測されておらず、その戦力差が広がったに過ぎない。
スザクは日本の首相、枢木ゲンブの息子だ。日本人として愛国心もあり、日本が負けてしまったら、どんな扱いになるのかは今までのブリタニアに支配されたエリアを知っていたら想像に難くない。スザクも関係悪化を辿ったブリタニアについて嫌悪していたがあるときからスザクの尺度は変った。
それは、一人の少年。日本人よりもなお黒い艶やかな黒髪と、宝石で出来ているのではと思う紫色の瞳をしたスザクの宝もの―――ルルーシュ―――

ルルーシュがスザクの元にやってきたのは一年前だ。それから色々あってスザクのなかでは国や家族よりも大事な存在になった。彼がスザクの家に来たのは人質としてだと聞いている。ブリタニア人の容姿を持つルルーシュは開戦したら扱いに影響がある。未だにルルーシュが預けられたもともとのルルーシュの家族らから連絡はないようだ。せめて、何かの伝があればブリタニアに逃がしてあげられる事も出来るのではないか。
ルルーシュの出自を知るのはスザクの父親しか知らない。京都六家のほかの重鎮に聞いたこともあるが調べられなかったようだ。スザクの父親は政治家としてやり手だったのでブリタニアの有力貴族の血を引いているのではという見解だが、開戦以降も連絡はない。ルルーシュは見捨てられたのだろうか。
(いや、あのときからルルーシュの事見捨ててるな)
スザクは初めて会った頃のルルーシュを思い出し、まだ知らぬルルーシュの親族や係累に不満感を募らせる。スザクはまだ子供だ。ルルーシュをつれてどこかへいくことも出来ない。

「入ります」
スザクはあわただしかった外の気配の隙を付いて、父親の部屋に入り込んだ。
「スザクか、今は忙しい。部屋で大人しくしていろ」
ゲンブは侵入者がスザクだと気づくと興味を失ったように後ろを向いた。険しい顔の父親にひるんだが、スザクだってどうしても譲れないもののためだ。
「父さん、ルルーシュはどうなるんですか」
はっきりとずっと心に覆っていた闇を払うべく父親に尋ねた。スザクだって父親の事を信じていたわけではいが、次の言葉で言葉を失った。スザクの問いかけにルルーシュの存在を思い出したようだ。
「使い物にならないごみとなったな。人質としての価値もない。見せしめに首でも送り返すか」
冷淡な声で自分の思い通りに行かなかった事をやつ当たるようにルルーシュを扱おうとする父親にスザクは頭が真っ白になっていく。ゲンブにとってすべて役に立つか立たないかで価値は決まる。それは息子であるスザクも同様だ。
「ルルーシュを殺させない」
スザクは思わず、側に在った刀を振り上げた。それが父親の命を奪うことになるとは思いもしなかった。
血塗られた自分の姿と物言わなくなった父であった目の前の塊に呆然とスザクは立ちすくんでいた。
(俺は、・・・俺はっ!)
スザクの中で何をしていいのか分からなくなる。
がらりと、ゲンブの部屋に現れたのが京都の重鎮である桐原であったことは日本にとってもスザクにとっても幸いだったのかもしれない。

明らかに息子の手にかかって死んだゲンブを桐原は自害として日本人の誇りを守るための物語に書き換える事になった。スザクは汚れた姿を洗い流し、ただその決定に従うしかなかった。

スザクが自分の部屋に戻るとルルーシュが部屋の隅から駆け寄ってきた。
「スザク」
「・・・」
ぎゅと抱きしめてくるルルーシュの何時もの温かさに泣きたくなった。
「ルルーシュ」
ルルーシュから自分の顔が見えないように力を込めて抱きしめた。
「外は危ないからお前はここにいろよ」
「・・・?スザクはゲンブさまに会えたのか?」
日本とブリタニアの戦争がはじまったと家の人たちも言っていた。ルルーシュは漠然とした恐怖にスザクから離れたくなかったが、スザクがわざわざルルーシュを残して父親に会いにいったので、一人待っていたのに、スザクがいないのに一人で部屋を出ることなどしない。ルルーシュはスザクの微妙な変化に不安を感じて一番安心できる癖をねだる。スザクも気づいてルルーシュの手を握った。
「会えなかった。今は大人しくしてろって」
幾分暗い声にもルルーシュはスザクも戦争がはじまったせいで不安なのだろうと理解する。父親に会って何を聞くつもりなのかルルーシュには分からないが、総理大臣という役職は忙しさのきわみだろう。もしかしたらスザクも、ルルーシュが知りたいが知りたくないことを聞きにいったのかも知れない。
「そうか、きっと後で話を聞いてくれるよスザクの父親だものな」
慰めるように続けた。ルルーシュにとってはまるでいないもののように扱われるあまりいい印象の相手ではないがスザクにとっては父親だ。スザクの心が軽くなるよう願望的な未来を語った。それに、もしルルーシュの想像通りなら、永遠の別離が少しだけ伸びたのではないかとおもう。
「あんなやつ、それに俺はお前さえいれば」
スザクの言葉にルルーシュは儚げに笑った。自分をこんなに大事にしてくれるのはスザク以外いないだろう。
「それに、・・・もういいんだ。聞きたい事はあったけど、もう」
スザクの言葉の諦念に気づいたが今まで見てきた親子関係上のことなのだと、ルルーシュはスザクの寂しさを癒すようにただ口をつぐんだ。

数日後、ゲンブの自害が告げられた。それをきっかけに日本はブリタニアに降伏した。

開戦が報じられたとき、ルルーシュは自分の身など気にしていなかったが、ブリタニア人の血を継いでいるだろうこの身には人質という立場が重くのしかかっていた。殺される事も覚悟していた。ルルーシュを待つ人などいない。迎えもない。
ただ、自分が死んだならスザクはどう思うだろう。戦争がはじまって、いつゲンブに人質としての価値がないと死を告げられるか不安に染まっていた。スザクの部屋で今日はまだ大丈夫だったとそのぬくもりに包まれて過ごしていた。
自分が死ぬことは怖くなかったが、スザクが悲しんだり嘆いたりする事は嫌だった。本当はスザクのもとでひっそりと生きていたかった。
だから、ゲンブの死にルルーシュは意外な思いと、どこか不安が解消されたような開放感があった。しかし、スザクを目の前にするとそんな不謹慎な事を考えてしまった自分を恥じる。
「ルルーシュ・・・・お前の迎えもなかったな」
ポツリとスザクの言葉にルルーシュは「ああ」と頷いた。
「・・・・俺たち、二人とも一人だな」
スザクが戦いに破壊され炎に焼かれた町並みをみる。何かを振り切るようにスザクはこれからのことをつげた。
「桐原さんたちが、暫く身元引受人になってくれるって、お前も一緒に来い」
スザクがいるところにいられるならルルーシュにはそれだけでいい。ルルーシュの頷きにスザクは泣きそうになった。ルルーシュはスザクの鏡だ。不安なときは伝わるように不安に揺れる。わりきれ。スザクは自分に言い聞かせた。
「ずっと、一緒にいよう」
「ああ」
スザクはルルーシュの手を握った。ほっと何時ものような笑みを浮かべる。
(この笑顔さえあれば、それだけで、もういい)

約束だとルルーシュを縛り付けた。
『どんなことがあっても二人は二人のためだけに行動してずっと一緒にいる』
いつか呪いの様な鎖が、祝福となる事を願って。